ドイツ・ライプチヒ・観光地・名所のABガイド記事
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200曲のバッハ教会カンタータはここで誕生 ライプチヒ聖トーマス教会
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- 沖島 景
早稲田大学第一文学部ドイツ文学専修卒業。ドイツには高校時代に国際ロータリークラブ青少年交換留学で一年間、大学時代に交換留学でベルリン自由大学、フンボルト大学に一年間留学する。その後ドイツ・ドルトムントでの整形外科靴職人の修行を経て、現在はドルトムント大学ジャーナリズム学科在籍。
バッハが長年過ごした町 ライプチヒ
ドイツを旅していると、教会や音楽に関連してヨハン・セバスティアン・バッハの話を色々な場所で耳にするであろう。フランクフルトより北東へ電車で1時間40分ほどのアイゼナハという町で生まれたバッハは、その生涯を東部ドイツと北ドイツで過ごした。バッハが滞在したことのある町を訪れると、教会で“バッハが弾いたオルガン”というのに巡り合うことがよくある。しかし何と言っても、バッハのファンにとって欠かせないのはライプチヒだ。65年というバッハの生涯のうち、後半の27年間を過ごした町である。聖トーマス教会のカントール(プロテスタント教会のオルガン奏者ならび合唱隊指揮者)としてバッハがライプチヒにやってきたのは1723年5月のことだった。
こんなところにバッハの墓が
当時は教会の前に聖トーマス教会付属の音楽学校があり、バッハはここの教師もしていた。忙しい生活の中でバッハは教会カンタータの作曲にも専念し、現存している200曲にのぼるバッハの教会カンタータの殆どがライプチヒで生まれた。“バッハ詣で”の一番人気はやはり聖トーマス教会。祭壇前の床には常に花が置かれているが、ここはバッハの墓所である。1750年に享年65歳で世を去ったバッハは、市壁の外にある聖ヨハネ教会の墓地に埋葬された。19世紀末になって聖ヨハネ教会の改修工事が行われた際、バッハの遺骨は掘り起こされて聖トーマス教会の中へ移された。それ以来、バッハは彼の慣れ親しんだ教会で眠っている。
ゲヴァントハウスとは?
ライプチヒには有名なオーケストラとコンサートホールがある。ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、1743年に発足した市民階級の団体としては世界初のオーケストラである(それ以前に宮廷楽団や歌劇場付属の管弦楽団などはあった)。ゲヴァントハウスGewandhausとは「織物組合の館」と言う意味で、織物商人は大きな組合の館を持ち、そこが演奏会場として使われた。オーケストラは館に因んでゲヴァントハウスと命名される。歴代の常任指揮者には作曲家のメンデルスゾーンを始め、フルトヴェングラー、ワルターなど大物がたくさんいる。19世紀末に建てられたコンサートホール「ゲヴァントハウス」は第二次世界大戦で爆撃を受け、取り壊された。現在の建物は1981年に完成。近代的で殺風景な建物だが、1900人収容の大コンサートホールである。
バーテルス・ホーフの中庭で
ライプチヒはドレスデンほど大戦の被害を受けていないので、旧市街には古い建物も残っている。この町では古いホーフ(中庭)やパサージュ(建物の抜け道)を巡るのも観光ポイントのひとつ。バッハが一時期住んでいたハイン通りには、バーテルス・ホーフという美しい中庭がある。18世紀半ばにライプチヒ商人ゴットリープ・バーテルによって建てられた館で、現在この中庭に有名なレストランが入っている。名前も「ガストハウス・バーテルス・ホーフ」。夏場は心地よい中庭にテーブルが広がり、地元の人も観光客も美味しいドイツ料理を味わっている。バッハはこの町のこんな優雅な空気を吸いながら名曲を生み出し続けた。その雰囲気をあなたも触れに行ってみよう。
【関連情報】
■ Gasthaus Barthels Hof ガストハウス・バーテルス・ホーフ
Hainstrasse 1 ,04109 Leipzig
電話:(+49)341 141310
掲載日:2008/07/03
※上記は記事掲載時点での情報であり変更されている可能性もあります。ご了承下さい。
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